ドリー夢小説




 突然南の方からやってきて、軽やかに去っていった、一陣の風。


 ひゅうっと春の妖精が駆け抜けた瞬間。


 春一番とまでは強くなかったが、悪戯な風はひらりとの制服のスカートをすくいあげて通り去った。
 あわてて両手でスカートの端を押さえるが間に合わず。
 顔を真っ赤にして振り返る。

 一番いてほしくない人物がそこにいるのを知っていたから。

「…み、見た?」

 朝練が終わって校舎へ向かうの少し後ろを歩いていたのは、同じく校舎へ向かっていた部長の手塚だった。
 彼は普段から感情の起伏があまり表に出ない。
 今だってそうだ。いつもとまったく変わりない表情で突っ立っている。

「いや」

 短く答えたその声はいともあっさり。あっさりすぎる。
 そして手塚は、つと目を逸らした。

「やっぱ、見たんでしょ!?」

「見ていない」

「うそ!見たんだ!」

「見ていない、と言ってる」

「だってこの距離でこの向きで、見ないとか物理的にありえない!乾に検証してもらう!」

「おい、。落ち着け」

「だから、だから、見たんでしょーが!」

 これが落ち着いてられますか?!
 こっそりこっそり1年のときから密かに好きだった人にこんな形で、パ、パンツ…。
 しかもパンチラどころの騒ぎじゃなくて、全開ってか豪快にオープンにしちゃって、よりによって色気も味気も可愛げもない無地の白パンツって…。せめてもっとかわいいパンツはいときゃよかった!油断大敵だな!

 あたしの儚い乙女心は粉々よ!


「確かに、おまえの姿は視界に入っていたが、見てはいない」

 うわ。
 やっぱし。

「そりゃ見たんだっつーの!バカ!」


 最悪…!


「視界に入るのと、見るのとでは…」


 恥ずかしさのあまり、もうあたしの耳には手塚の弁解なんか届いてなかった。



「うわーん!もうお嫁にいけないー!」



 呆気にとられている手塚を振り向きもせず、脱兎のごとくその場を逃げ出した。

 ごめんなさい、あたしウブなんです!

 気が動転してるんです!でも平気ではいられないんです!




















 その日の昼休み。同じクラスの不二がやけに楽しそうにしつこく聞いてくるので、渋々とあたしは今朝の出来事を話さざるをえなかった。昨夜充電するのを忘れた携帯電話の電池も昼まで持たずに切れてしまって手持ち無沙汰だったから。もちろん心の内まではすべて解説しない。この秘めた想いはまだ誰も知らないのだ、多分。

 最後まで話すと、不二は変わらぬ笑みで首を傾げた。目が笑っていない。

「なんだ、僕はてっきりムッツリな手塚に襲われでもしたのかと思った」

「ムッツリはアンタだよ」

「ただのパンチラで大事にされてる手塚がちょっと哀れに思えてきた」

「ただのパンチラってなにさ!」

「手塚がスカートめくったならまだしも」

「犯罪じゃん、それ」

「不可抗力って知ってる?」

「…なによ、悪かったわね!見たくもないもの見せて!」

 この男の、人を小ばかにしたような態度に腹が立つのだ。
 あれだけねちっこく聞いてきて、話したらこれだ。
 ゴーイングマイウェイにも程がある。
 あたしは電源の入らない携帯をパカパカと開閉させながら真っ暗なディスプレイに自分の顔が映るのを何の気も無しに眺めていた。

「そんなことで、お嫁にいけない、なんて。大げさすぎるよ、手塚はとんだ災難だ」

「…誰よ、コイツのこと優しい王子様だとか吹聴してるのは…」

「いやだな、遠慮してないのは心を開いてる証だと思ってほしいね」

「超迷惑なんですけど」

「マネージャーとしては嬉しいばかりでしょ」

「不二に気に入られてもなぁ」

「失礼な。いくら手塚が好きだからって」

「手塚を好きなのと不二が迷惑なのは関係ないっていうか別次元の話で…ん?」

 思わず自分の口走った単語に自分の耳を疑う。
 目の前にはしてやったり、というご満悦な表情の不二。
 しまった、うまく乗せられた!

「いや、ほんとって単純。あはは」

「くっ…一番知られたくないヤツに自滅するなんて、ふ、不覚…」

「まあまあ。応援してるよ」

 こんな性悪に弱みを握られるなんて。
 前途多難だわ…。

「不二に応援されても話がややこしくなるだけのような」

「ひねくれ者だね、君は。よし、早速手塚のとこ行ってこよう」

 あたしはぎょっとして立ち上がった不二の学ランを掴む。
 厄介すぎる、どうしよう!?

「ちょっと!」

「心配しないで。よきにはからってくるから」

「いやいやいやいや!」

「無粋なことはしないよ?」

 ここぞとばかりに本物の王子様のような気品を漂わせて、反則である。
 その笑顔にもしかすると、なんていう勘違いが生まれて。
 むしろ不二を味方につければ百人力かもしれない、ととんでもない思い違いをして。

「余計なことは言わないでね?!」

 あたしは不二の体を解放してしまったのだ。

























 本当に手塚のクラスに行ってきたのであろう不二に、どんなやりとりをしたのか問い詰めてもはぐらかすので、昼休みに不二を自由にさせたこと、不二に頼るなんていう勘違いをしたことを後悔し始める。
 自分の愚かな行為によって自分の首が絞められる気がしてならない。

 どんどん近づいてくる放課後の部活から逃げ出したい。
 今日は朝からついてない。
 手塚にパンツ全開で、不二には気持ちがバレるわ、さらになんかややこしいことにしてくれてそうだし。しまいに朝のパンチラ事件については英二にも知られていて、散々笑い飛ばされた。思春期のうら若い女子に向かって、どうもデリカシーのないやつが多すぎる。
 ああ、気が重い。
 気が重いのは、周りの部員の絡みだけじゃなくて、手塚本人に顔を合わすのも気が重いのだ。

 あたしの勝手なタンカに怒っちゃいないだろうか。
 不二に何を吹き込まれているのだろうか。

 考えれば考えるほど、ため息がこぼれる。

 授業はほとんど頭に入ってこない。手塚の得意な世界史の授業、いつもは一生懸命ノートを取っているのに。6時間目が終わり、チャイムが鳴るとざわざわと教室が揺れる。
 1人だけ異次元に隔離されているかのように教室のざわめきさえ遠く感じられて。

 いつの間にかホームルームは終わっていたらしい。

、部活行こうぜー」

 人の気も知らない呑気すぎる英二の声に、さらに気が滅入る。

「うん…」

 こんなことで部活を休めるわけもない。やっと冷静になってきた。休んだところで事態が好転するわけでもない。
 あたしが気にしすぎてるだけっていう可能性もあるよね。手塚は朝のことなんかちょっとした日常のやりとりで冗談ぐらいにしか思ってないかもしれないし。
 あたしのパンツごとき大して気にしてないんじゃない?いや、それはそれで悲しいような気もするけど、むしろ忘れてくれたほうが有り難い。

 英二と一緒に部室に入ると、ちょうど着替えを終えた手塚が出ようとしていたところで、一瞬目が合う。

 とっさのことに。

 あたしは視線を泳がせてしまった。

 そしてそのまま挨拶をするタイミングを逸して手塚の脇をすり抜ける。

 手塚も無言で部室を出て行ってしまう。

 閉じられたドアの音を背に受け、あたしはがっくりと肩を落とす。

 それを見た英二は横からコツっとあたしの頭を小突く。

、無視はないだろ」

「…はい」

「はい、じゃなくて」

「わかってる!」



 あたしは迷わず、回れ右。



 とりあえず今のは謝らないと!



 急いで部室のドアを開け放って、後ろ姿を目がけて駆け寄る。


「て、手塚!」


 軽く振り向いた手塚の顔は相変わらず厳しくて。



「さ、さっきは無視したみたいになって、ごめん!」




「いや…」






 ああ、無駄に緊張する!





 すべてが特別すぎて、落ち着かない。



「…あっ!お昼休み、不二が行かなかった…?なんか言ってたかもしんないけど気にしなくていいから!」


「確か『が嫁にいけなくても、手塚が責任を取る必要ないよ。僕がもらうから』…とかなんとか言っていた」


「………。まさか本気にして…」



「あ、手塚ー!」



 勢いまかせに朝のことも謝ってしまおうとしたとき、あたしの声を遮って手塚の名前を呼ぶ大きい声。

 遠くから呼んだのは不二だ。

「竜崎先生が探してるよ!」

「分かった、すぐに行く」

 不二にそう答えて、あたしに向き直った手塚は
「すまん、後でな」
と残してその場を去った。

 勢いで啖呵の謝罪までできそうだったのに中断されて呆然としているあたしに不二は優しく声を掛けてきた。

、恋愛に障害はつきものだから。頑張って、ね」

 計ったように絶妙なタイミングで割り込んできた人物が他ならぬ不二であったことは、疑う以前の問題である。

「障害ってあんたのことかしら…?」

「ふふ、そういう強気なところ結構気に入ってるよ」

 微笑む笑顔に、もはや騙されまい。
 とにかくこれ以上不二に引っ掻き回される前に何とか手を打たねば。
 あたしは部活後に手塚と話をする機会を作ることを決心する。






















 練習後も試合のオーダーについて竜崎先生に呼ばれたっきり手塚はなかなか戻ってこない。ともに呼ばれた大石は先刻一足先に戻り、手塚を待とうとしたのであたしは鍵当番を無理やり引き受けて、彼を帰した。手塚は別の用事でまだ話をしているらしい。

 邪魔者は誰もいないし、とにかく朝、バカとか言っちゃったのも謝らないとなぁ。

 待ちわびてぼうっといていると、規則正しい足音が近づいてきて、ガチャリとドアの開く音。顔を上げると、少し驚いた表情の手塚。



「まだ残っていたのか」

 やけにしっかり明るい部室の電気。

「うん、お疲れ」

 でも外はすっかり日が落ちている。

「ああ。お疲れ」








 堅物だし、ああ言えばこう言うし、融通利かないし、怒ると怖いし。






 少し間を置いて、切り出したのは手塚だった。





「…今朝のことだが…」








 キケンな男でもないし、悪い男でもないし、王子様みたいに優しくないし、母性本能くすぐるわけでもないし。













「言い訳ばかり言って、すまなかった。その…傷つくかと、思ったんだ」










 気の利いたギャグが言えるわけでもないし、そもそも口数もそんなに多くないし。










「何だかさらに言い訳がましいな…」









 それなのに、今、目の前で。












 そんな風に少し困ったように真っ直ぐあたしの目を見て、一生懸命謝ろうとしてくれているあなたを見ると。












 愚かなあたしは勘違いしてしまう。











「あたしこそごめんね、朝。恥ずかしすぎて取り乱したというか…」











 ただでさえ緊張して、こうやって近くにいるだけで、ドキドキしてる。







 それでももっと、特別扱いされたくて。










 あなただからなの。









が謝る必要など無いだろう?」










 あなただけなの。










「手塚が謝る必要もないんだってば。あたしが大げさだっただけなんだから」











 簡単に引き下がらないあたしに手塚は眉をしかめた。


「いや。そういうときは素直に受け取れ」

「そういう問題じゃなくてそもそもあたしが悪かったって話で」

「だからおまえは何も悪くないと言ってるだろう」

「でも言いすぎたし!」

「ああ、嫁にいけない、と言っていたな」

「そりゃ完全に言葉のあやってやつで」

 いつもの負けず嫌いな言葉の応酬になると、ちょっとほっとする。
 手塚はひょいとテニスバッグを担いであたしに視線をくべた。

「もう遅い。帰るぞ」

「はーい」

 それでも十分幸せだった。

 部室を出て鍵を閉め、一緒に帰ることも。やっぱり全部、特別なのだ。

 つまらない会話を手塚とできるということが特別なことなのだ。

 どんなに手塚が鈍ちんでも。

 内容は重要じゃない。

 外気は少し肌寒い。ひらりと細い月が浮かび、すっかり空は群青色。





「…不二の誤解は解けそうか?」






「…はっ!?」






 突然出てきた名前に目が点になる。

 嫌な予感。

「不二のことを好きなんじゃないのか?」

「ちょっ…待って。何で?!」




「おまえがメールの返事もよこさないから、昼休みに教室に行ったが、おまえは不二と楽しそうに話していたのでな」




 呆れた。知ってはいたけど、どんだけ鈍いわけ?!その目は節穴!?





「いや、全然楽しく会話してなかったから。メールごめん、朝から携帯電池切れてんの」


 特別扱いされたいなんて甚だ厚かましい。


 よもや別の人を好きだと思われていたなんて。


「そう、か」


 じんわり悲しみがこみ上げる。だってそんなの、やるせない。感情が揺れて目頭が熱くなる。


「手塚のバカ。鈍すぎだっつーの」



 手塚の一挙手一投足に一喜一憂して。



 なんだか胸が苦しい。




。どうしてそんな顔をする」




「…目にゴミが入っただけ」










「期待させるな。…鈍いのはそっちだろう」













「え?」


 手塚はおもむろに携帯電話を取り出して操作し始めた。

 電話ではないのでメールのようだ。



 メールを打ち終えると手塚はあたしと視線を合わせた。


 2人の間を軽やかに去っていった、一陣の風。

 手塚の送ったメールも風がさらっていった。

 校門へと続く桜並木の薄い花びらが舞い散る。


「おまえに送った」





「あたしに?」





「帰ったらちゃんと見ろよ」





 めったに見せない柔らかな表情に鼓動が騒がしい。






 思わせぶりなその言葉に、あたしは手塚と別れたあと全速力で家に帰り、携帯を充電につながねばならない。






















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『silent star』さまへ提出「083:軽やかに去っていった、一陣の風」

このたびは素敵な企画に参加させていただき、大変光栄です!
跡部未菜様、ありがとうございます。

 2008.06.17 ハミガキ