芽吹いた想い


「いやー、なかなか広いね。でも、独房とかって何に使うんだろう?」
 校舎内探検の為、一人であちこち歩いている
 周りとは明らかに言葉が違うので、度々周りの生徒達に変な目で見られる。
 しかし、それも仕方ない。
 何故なら今日ここに転入してきたばかりの、ここ曰く本土者。
 からすれば沖縄弁の方が未知の言葉だ。
 同じ日本であるはずなのに、様々な言葉があるのはとても不思議だ。
「こっちは何かな。随分長い通路だな」
 遠くに扉が見える通路に出たは、奥を見渡してみた。
 遠くの扉付近にプレートがついているようだが、よく見えない。
 はとりあえず向かうことにした。
「あ、猫だ!可愛い!」
 途中通路のところで猫を見つけ、は駆け出した。
 その足音に猫がぴくりと反応し、素早く逃げていく。
「足速いな。待ってよ!」
 は尚も猫を追うが、猫の方が足が速くて追いつけない。
 どんどん遠ざかる姿に、は仕方なく諦めようとしたところで、異変が起きた。
 足元が急に崩れ、体が沈む。
「え、何でこんなところに落とし穴が!?」
 悲鳴を上げながらはあっという間に姿を消した。



 授業時間となり、先生が教室に入ってきた。
「授業始めるぞ。ほら、席に着け」
 まだ立っていた生徒も慌てて席に着き、教科書を引っ張り出した。
「えーっと、確かここは転入してきた者がいたな」
 先生はそう言ってぐるりと見渡した。
 が、席が一つ空いているのに気付き、首を傾げた。
「その席が、そうだよな。誰か転入生がどこに行ったか知ってるか?」
 クラスを見渡し、先生は言った。
さんなら、校内探検に行くとか言って休み時間に出て行きました」
「校内探検?誰か案内しなかったのか?」
「はい。一人で行きたいと言うので」
「迷子にでもなってるんじゃないですか?」
 もう一人の女子が先生にそう言い、ちょっと笑った。
「迷うほど複雑じゃないんだが。まぁ、そのうち戻って来るだろう」
 先生はそう言って転入生の話しを止め、授業を始めた。
 そんな先生から視線を外し、平古場は後ろへ顔を向けた。
「方向音痴なのかな、あにひゃー」
「さぁな。…もしかしたら、あそこに落ちてるのかも」
 ふと思いつき、甲斐も口を開いた。
「あそこって?」
「あり、あの渡り通路さー」
「誰もあにひゃーに教えて無かったのか?」
「たぶん」
「あきさみよー(なんてこった)。どうする、裕次郎」
「そりゃ、この授業退屈だし」
 ニヤリと甲斐が笑う。
「りっか(行こう)」
 平古場も賛成とばかりに笑うと、二人は立ち上がった。



 穴は思った以上に深かった。
 何メートルあるんだろうと落ちた先を見上げ、は感嘆の息を吐く。
 の身長を軽く越え、穴の先は遥か彼方に見えた。
「いやー、どうしたものかな、これは」
 自力で這い上がるのは無理と判断したは、のんびりと呟いた。
 暫し上を見上げていたが、誰の姿も見えないので、仕方なく底に座り込んだ。
 制服が土で汚れようが構うものか。
 いつまでここにいることになるかはわからないが、立ったままは疲れる。
 全身で土の匂いを感じつつ、は土の壁に寄りかかった。
 今まで都会にいた分、とても新鮮に感じられる。
 あっちにいた頃は体験出来ないことだ。
 あっちの友達に自慢しようかな、などと考え、そういえば携帯はとポケットを探った。
 けれど、外へ繋がる携帯は無かった。
「…あ、充電して家に忘れたんだった」
 ついてないなぁ。
 引っ越してきて初日の学校だというのに、これでは授業をサボってしまったことになる。
 サボりたくてサボったわけではないのに。
 これでは初日から印象が悪過ぎるじゃないか。
 と、いくら心の中で文句を言っても、ここから出られないことにはどうしようも無い。
「あーあ、猫なんか追いかけるんじゃなかった。私の馬鹿」
 自分をそう叱咤していると、頭上から何かが降ってきた。
 ぽんっなんてものじゃない、重いものが降ってきて頭に当たり、は悲鳴を上げた。
 そして何かと思ってそれを見れば、足元に猫が転がっていた。
 丸くなっていたかと思えば、足を伸ばし、こちらを見た。
 それは先程見つけた猫だった。
「ちょっ、大丈夫?どこか怪我とか?」
 この猫の所為でこの穴に落ちたことも忘れ、慌てて猫を抱き上げた。
 あちこちを見て、触ってみたが、猫は平然としている。
 どうやら大丈夫らしい。
 猫はのんびりと一声鳴き、の頬を舐めた。
 それにはくすぐったそうに笑う。
「良かった。それにしても、何で君まで落ちて来たの?私を落とした責任を感じた、とか?なんて、そんなわけないよね」
 土がついた背を払ってやりながら猫へ話しかけた。
 猫が返事をするわけはないが、それでも一人じゃないと感じて少し安心出来た。
「猫…そういえば、沖縄弁で何て言うのかな。きっと呼び方があるんだよね」
 その言葉に猫は真ん丸の目を向けるだけで何も言わない。
 はそんな猫に笑いかけ、背を撫でた。
 猫はのその手に安心したのか、腕の中で目を閉じた。
 も猫につられるように、眠りへと落ちていった。



 先生もクラスメイト達も驚く中、二人は教室を飛び出した。
 一歩遅れて先生の怒鳴り声が上がったが、もう二人には届かない。
 教室を抜け、廊下を走り、真っ直ぐにあの資料室へと通じる通路へと走る。
 テニス部でかつ縮地が出来ないと渡れない通路。
 何故ならそこには軽く土を持っただけの大きな穴があるからだ。
 学校内に何故こんなものを造ったのかはわからないが、普通の者ではただ穴に落ちるだけ。
 そしてたぶんあの転入生も、例外無く。
 二人は得意な縮地を操り、その穴が空いているところまで進んだ。
 そして中を覗き込めば、やはり彼女はそこにいた。
「当たりだな、裕次郎」
「やしが(だけど)、でーじなとん(大変なことになってる)」
 甲斐が下を見てそう言い、平古場も改めて下を見た。
 二人の話し声に彼女は気付くことなくぴくりとも動かない。
「気絶してんのか?えー(おい)!」
 平古場が穴の底に向かって叫んだ。
 甲斐も同じようにそう叫べば、彼女はやっと反応し、きょろきょろと辺りを見てから上を見上げた。
「誰も来てくれないのかと思った。ね」
 はのんびりと腕の中の猫に話しかけた。
 猫はちょっと上を見ただけで何も言わない。
「やー、大丈夫だばぁ」
 どこか呑気なへ、甲斐は呼びかけた。
「…やーって何?ま、いっか。大丈夫です!」
「大丈夫みたいさー。ロープどこだ」
 こんな時の為にと常備されているロープを見つけ、平古場はそれを持ってきた。
「やー、このロープに掴まれ!」
 甲斐がへそう言い、ロープの片方をへと下ろした。
 下りてきたそれにはしっかりと猫を抱えて掴まる。
 猫に大丈夫だよと声をかけるのも忘れずに。
「手伝え、凛」
「勿論」
 二人は頷くとロープを掴み、ゆっくりとを引き上げ始めた。
 ロープと土の壁が擦れ、ぱらぱらと土が降ってきたが、それを振り払う手が無いため、は目を閉じてやり過ごした。
 それから直ぐに地上へと引き揚げられ、は地に足をつけた。
「やー、大丈夫だばぁ」
 先程も聞いた言葉を再び甲斐から聞かれ、は頷いた。
「はい。助けていただいてありがとうございました」
 は少々土で汚れた顔に笑みを浮かべ、二人へ頭を下げた。
 それに二人も「なんくるないさー」と笑って答えた。
「それにしても、何でやーまやー持ってるんだ?」
 平古場がの腕の中にいる猫に視線を落として聞いた。
 けれど、には何を言っているのかわからず、首を傾げた。
「ああ、だから。何でお前猫持ってるんだって聞いてるんだ」
 甲斐が通訳に入ってそう伝えた。
「ああ!そうなんですか。えっと、この子も穴から降ってきたんです」
「は?まやーが?」
 平古場は猫を指差して言う。
 猫はその指差しが気に入らないのか、その指を睨んだ。
「まやー?あ、この子の名前ですか?」
「違う。まやーは猫って意味」
 再び甲斐の通訳では納得した。
 が改めて猫を見下ろすと、猫は腕の中からするりと抜け出し、ぴょんと地に下り立った。
 そして、一度を見たかと思うと、猫はゆっくりと尻尾を揺らしながら彼等から離れていった。
「あ、行っちゃった」
「これからどうする?」
 猫を名残惜しそうに見送るの後ろで、平古場が甲斐へ聞いた。
「もう戻るのにりー(面倒くさい)」
「だからよー(その通りだね)」
「どっか、屋上でも行く?」
「賛成。りっか」
 甲斐へそう答え、平古場は振り返ってを見た。
「やーはどうする?」
「やー…?」
「やーもりっか!」
 甲斐はそう言うなりの腕を掴んで走り出す。
 平古場も楽しそうに笑いながら駆け出した。
 ただだけは、言葉がわからないので引っ張られるままに走った。



 引っ張られて辿り着いたのは、心地良い風が吹く屋上。
 急に走らされ呼吸が乱れながらも、はフェンスからきらきらと輝く海を見た。
 青い海が穏やかに波を生み出しては、引いていく。
「…わぁ、綺麗」
 二人もフェンスにそれぞれよりかかり、驚くを見た。
「そりゃそうだばぁ。日本一綺麗だばぁ」
 甲斐も海を見ながら言った。
 その顔を平古場はを挟んで見ながらニヤリと笑う。
「裕次郎、何だか嬉しそうさー」
「は?ぬーやが?」
「自覚無いんだな。あ、そういえばやーの名前忘れたあんに?」
「お前の名前忘れたから教えてくれって」
 平古場の言葉に首を傾げ、甲斐の通訳でやっとは理解して笑った。
「何、忘れたんですか?朝言ったのに。私は、
「わんは平古場凛」
「甲斐裕次郎。ゆたしく!」
「ゆたしく…?」
「よろしくって意味さー」
 今度は平古場が通訳をしてやり、は頷いた。
「沖縄弁って難しいですね」
「そうか?慣れればわかるようになるだばぁ。ところで、何で敬語?」
「え、いや、何と無く」
「敬語はいらないさー。、わったーと同じクラスさー」
「そう、だよね。改めてよろしく!」
 にこりとは笑って二人を見た。
 その笑みを見て、甲斐の顔が赤くなった。
 それを平古場は見逃すはずもなく、再びニヤリと笑った。
「やっぱり、ちら赤いやっさー、裕次郎」
「…気のせいだばぁ」
 からかう平古場に甲斐は顔を背けて返した。
 それで更に平古場は笑う。
 けれど、にはやはりやりとりがわからず、不思議そうに二人を見ていた。

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