繋いだ手の温もり   Close Your Eyes.





全く接点なんてない。
 同じクラスでもなければ同じ学年でもない。
 だけどこうも有名じゃぁ嫌でも耳にするし、同じクラスの男の子からしょっちゅう聞くもんだからもしかしてあたし、好きなんじゃないのかな?なんて錯覚に陥ってしまう。



「そんでさぁ、凄いのなんのってないっつー位、やばかったんだって!」
    の横で嬉しそうによく分からない日本語を話す桃城 武。この世の中にそんな事が存在するのだろうかと言う程、感激を露にしていた。
「フーン…」
 肘を付いた姿勢で机にダラリと体を預けている の様子に気付きもせず、一生懸命熱弁する武は腕を上げたり下げたり少しオーバーリアクションなジェスチャーで声を止めずに話している。
 全く…なんだってのよ。
 朝。登校するや否や突然あたしに声をかけてきたかと思うと、またそいつの話ばっかするし…
 何を熱く語ってくれちゃってるのよ。おかげであたしはそいつの事、知り尽くしちゃってるよ…
「いやぁ〜凄かった!や!あれはほんと、見事だぜ!」
「はいはい…よかったね」
「おいおい、お前ちゃんと聞いてんのかぁ?人がこんなに熱く語ってるってのによぉ」
「聞いてる聞いてる。つか耳たこだっつーの」
「ったくよぉ。学校じゃぁその話題で持ちきりだってのにお前ときたら…何でそんな興味ねぇんだよ」
 こっちが聞きたい。
 何でそこまで人の事をまるで自分の事の様に熱く語れるのよ。
「興味がないって言うより、あたしテニスって良く知らないんだよねぇ。黄色いボールを打ち返し合いするだけって事位しかさ」
「ハハ…はぁ…まぁそれだけっちゃぁそれだけなんだけどよぉ…んでもお前だってスポーツクラブに所属してっから俺の言う熱さっての、分かるだろぉ?ちったぁ共感しろよな」
「共感って…あたしは球技部じゃないし」
「そう言う意味じゃねぇよ。お互い汗を流し、精一杯打ち込む事に共感しろって言ってんの。それをお前ときたら…朝から机の上でだらけてるし…」
「ほっといて。これが気持ちいいの」
「っかぁ〜!これが全国に名を知らしめた選手の言う言葉かねぇ…俺は悲しいぜ、 ちゃんよぉ」
 と、武はだらける の肩にポンと手を置くと、腕で顔を隠しながら泣きまねを見せた。
 だが は全く無関心な姿勢のままで、はぁとため息を付いた。
「お前が感動し過ぎなんだよ、桃」
「そ、そっかぁ?俺そんな感動してたかぁ?」
「っぷ…自覚症状なし。こりゃお手上げだわ…」
「ちょ!ちょっと待て!なんだなんだぁその言い草はぁ!そんな事言ってっと、お前、大物になれねぇぞ?」
「ならなくていい」
「こ、こら! !」
「煩いなぁ…お前は小姑か…」
「はぁ…その無関心のなさはほんと、良く似てるぜ…」
「!似てるぅ?誰とだよぉ?」
「越前だよ。天才ってのはそう言うもんなのかねぇ…無関心っつーか無表情っつーか…」
 呆れ顔でぶつぶつと言う武を他所に、 は顔を窓の外に向けた。
 越前 リョーマ。
 テニス界を震撼させた越前 南次郎の一人息子。期待の中学一年生。ジュニア大会四連続優勝。今や学校以外でもその名を轟かせている超有名人。
 実力もさることながら、どこか憎めない容姿も人気で、ファンクラブまで結成されてるとか…
 あ、でもだからなんだ?
 中学生ってだけで騒がれてるのか?ま、最年少ってのがミソ(死語)なのかもなぁ…
 毎日毎日桃から越前の事を聞くもんだからあたしもその内感化されるんじゃないかって思うと、ちょっと怖い気もするんだよねぇ。っつかさ、あたし会った事ないんじゃない?
 顔位…見たことあるかな?ある…と思うんだけど…いや、あったかなぁ?越前、越前…ま、どうでもいいや…
 人に対して無関心。心を開かない所為かいつの間にか一匹狼をめかし込んでるなんて噂もあるけど、別にそうしたくてしてるわけじゃないんだよね。勿論、それが嫌ってわけでもないけど。
 接触を嫌うのは、きっとあたしは臆病だから。
 いつかその噂が実力を上回ってしまいそうで多分、怖いんだと思う。そうじゃなきゃ、二年にもなって親友って呼べる奴がいないなんて事、ありえないからなぁ。
 親友っていやぁこいつ、あたしの隣で熱く語っちゃってくれてる桃。
 何だか不思議と空気みたいな存在になってる。桃の場合は他の皆みたいにちやほやしたりしないからあたしにとっては空気。
(でも絶対必要なものってわけじゃないから空気じゃないなぁ…なんだろう…二酸化炭素?)
 こいつがいなきゃ光合成が出来ない…いやいや違う。じゃぁ酸素?それじゃ空気の中のひとつに過ぎないし桃がいなきゃ息も出来ないってわけじゃないし…つか二酸化炭素もそうだよなぁ…
「あー!もういいや!何でも!」
「! ??」
「?…!」
 そんな事を考えている間にベルが鳴り、皆それぞれ自分の席に着席していた。それに教卓には担任がこちらをジロリと見ながら立っていたのだ。
 注目の的。
?そんなに先生の話はどうでもいいのか?」
「え?あ、いえ…その…」
 クスクスと笑い声が聞こえると、 ははぁとため息を付いて俯いた。
 恥ずかしいよりも考え事をするといつもこうなる事に呆れていたのだ。
「全くぅ…お前ときたら…集中すると周りが見えない。良い所でもあり悪い所でもあるぞ?試合中はいいが、今はHRなんだ。少しはクラブの事を考えるの、やめたらどうだ?」
「は、はぁ…(クラブじゃないんだけど)」
「ま、それがお前を世界的にしたんだろうがな」
「…そ、そうなんですか?(そうなのか?)」
「アハハ!ったく ってほんと、天然だよなぁ」
「ほんとほんと。そこがいいっちゃぁいいんだけどよぉ」
って見てて飽きないよねぇ」
 クラスメイトが次々に の話題を口にする。教室はざわつきいつの間にやら賑やかなHRになっていた。
「はいはい静かに。 の事は休み時間にでも話をしてくれ。では出席をとるぞ?…」 
 そう注意する担任の顔も笑みを浮かべており、教室は一気に華やいでしまった。
 どこか憎めない担任の良さは、そこにあるのかもしれない。
「…はぁ…」
 項垂れた頭を机にゴンと打ち付ける。
 自己嫌悪。
 ここの所ずっとこう。
 考えるってゆうより頭の片隅にいつもいる奴がいて、そいつがあたしをそうさせているって言った方が正しいかも。
「越前…リョーマ…か…」
  は顔をもう一度窓の方へと向けると、空を見つめた。
「…」
 どこまでも続く青い空。
 先なんてなくて、進めば進むほど素晴らしい世界へといざなってくれる。神秘の空間。言わば母なる空、宇宙。
 果てしない先に夢を託し、人類は月へと足を踏み入れた。
 時代が進化し、いつの間にやらその夢は夢でなくなる。そんな発展途上にある文明社会。
「夢が…夢じゃなくなる日……」
 好きで始めた水泳。
 記録が伸びる度、感動と感激が増す。そして何時しかそれが快感になっていき、もう一度味わってみたいと思う様になった。
 進化し続ける事を夢に見ていたはずなのに、いざ、その地に足を踏み入れてしまえばなんてことない、普通の日々だった。
(あいつは…どうなんだろう…発展途上とは言え、一度ならず二度三度栄光を手にしているんだ。何か知ってるかもしれない…あたしの見えない先の答えを、知ってるかも知れない…だから……)
 朝練で疲れきった体。 はそのままスッと目を閉じ、眠りについてしまった。
 
 心地良い六月の風。
 梅雨の中休みに晴れ渡った空は、雲を疎らに青々とし、その青さに似合う風が の体を優しく包んでいく。
 今は、兎に角休みたい…







「越前!」
 放課後。
 元気一杯に部室に到着した武は、丁度そこから出てきたリョーマを見つけ、声をかけた。
「桃先輩。チィーッス」
 ラケットを片手に大あくびをしているリョーマは、武の声に気が付くと、顔だけをそちらの方に向けた。
 無愛想なのは誰もが知っていたし、だからと言って気分が悪くなるものでもなかった。それは、リョーマの持って生まれた雰囲気がそうさせているのだろうか。
「お前やけに早いじゃん」
「そうっスか?」
「いつもなら俺と同じ位か、もしくはもう少し遅いかってとこなのによ。やっぱ興奮冷めやらぬって感じなのか?え?」
 ニヤニヤとしながら肘でリョーマの肩辺りをツンと突く武に、いつもの如く、リョーマは無愛想に返事を返した。
「別に…」
「なんだなんだぁ?ほんとの事言っちゃえよ!昨日は試合だけじゃなかっただろ?嬉しかったのはよぉ!」
「何スか?それ」
「惚けんなって!皆知ってるぜ?ファンクラブの女の子達から沢山プレゼント貰ったってよぉ!隠すなって!」
「…そうでした?…」
「そうでしたって…お前嬉しくねぇのかよ」
「別に」
「ったくぅ…ちったぁのってこいよなぁ…相変わらずだぜ…つか今日俺二度目だっつーの…一人浮いちゃってるのさぁ」
「?二度目?」
「同じクラスにいるんだよ、お前そっくりな奴がな」
「俺と?」
「なぁんか無関心っつーのか、無表情っつーのか…天才さんはそうなるもんなのかねぇ?」
「…天才って…   って人?」
「え?あ、ああ。なんだお前知ってたのか」
「一応…つか有名だし」
「可哀想によぉ…お前は知っててもあいつぁ知らなかったぜ?お前の事」
「はぁ…」
「だから俺が毎日教えてやってんだ。天才ならテニス部にもいるってね」
「…へぇ…」
「へぇって…まぁいいや…俺の周りにはどうしてこう無愛想な奴ばっかなんだぁ?…ったく…話になんねぇっての」
「確かワールドレコード塗り替えた人っスよね?その人」
「ああ。中学二年で日本人じゃぁ初だからなぁ」
「…それってやっぱ凄いんでしょ?」
「当たり前だって!世界だぜ?そうそういないだろ?記録を塗り替える奴なんてよ」
 と、武はリョーマの前でも自分の事の様に踏ん反り返って自慢げに言う。が、リョーマは全く動じずに武に聞き返した。
「…じゃなくて性格っス」
「せ、性格かぁ…ハハ…そうだなぁ一言で言やぁ…」
「一言で言えば?」
 顎を摩りながら武はチラリとリョーマを見ると、人差し指で額をピンと撥ね、ニヤッと笑ってその質問に答えた。
 それで今、悩まされている最中だったのだ。質問の答えは難なくすんなりと出る。
「お前とそっくり!かな」
「!俺と?」
「そ!」
「俺…」
「今日は何か調子悪そうだったけど…あいつ。練習きっとハードなんだろうなぁ…っとぉ、そんじゃぁ俺、着替えてくっからよ」
「…」
「(ヘヘン…悩んでる悩んでる。ちったぁ苦しめ。無愛想の天才二人に悩まされた俺のささやかな仕返しだ…と、なると今度はあいつだな… には何て言って意地悪してやろうっかなぁ。ちょぉぉっと体調悪そうだからそこそこにしといてやらねぇとなぁ。でも楽しみだぜ!)」
 足元を軽快に、武は部室へと入っていた。
「…」
 その場に一人残されたリョーマは、武の出した答えを必死になって考えていた。




(俺そっくり?なにそれ?よく分かんない…つかそんな答えありか?俺そっくりって顔?体系?あ〜!もう!何だよ!そっくりって!)
 考えてみたら俺、どんな性格なんだろう。
 周りは無愛想だとか無関心だとか良く言ってるみたいだけど…って事はそうなのか?
 女で無愛想?
「越前!行くぞぉ!」
 練習に集中出来ないじゃん!何なのさ!それって!
 駄目だ!苛立って全然ボールが見えてない。
「?越前?」
「すみません、大石先輩…」
「体調悪いのか?」
「別に。大丈夫っス」
「そうか?ならいいが…気分が悪いなら言えよ?手塚がいない今、俺が部の事を任されているからな。遠慮なく言うんだぞ?」
「…はぁ」
「それじゃぁ行くぞ?」
「ウィーっス…」
 天才。
 水泳部二年。選考会でワールドレコードを更新。突然現れた若きクィーン。学校中が凄い騒ぎだったし、つい最近までマスコミが正門の前を埋め尽くしてたっけ?
 名誉な事なんだろうけど、本人ってあんま見かけなかったし、テレビにもそうそう映ってなかった。まだ義務教育を受けてる未成年だからかな?
 そういや俺、会った事あったっけ?見かけた事…位はあったかも。
 全然違う世界の人間だけど、やっぱ頂点を取るってすっげぇ気持ちいいんだろうな…
 会って見たい…かも。
「おい!越前!危ない!!」
「え?……!」


 会ってみたいって思ったら…胸の奥がギュンってなったんだけど…これって何?その瞬間、目の前が真っ暗になったのも、関係あるのかな?


 俺の…そっくりさん…





「無理はいけないね?無理は」
 保健室。
 ニコリと笑いながら言う先生に、 は頷きもせずにベッドに寝転がっていた。
「今日はゆっくり休みなさい?この間から練習、ハードだったんでしょ?」
「…そうでもないですよ」
「クス…ま、いいわ。丁度いい機会だから静養できるし…」
「…」
 と、先生は白衣のポケットに両手を入れると、ベッドの側のカーテンをゆっくりと閉めた。
 窓は開いたままだったので柔らかく揺れる白いカーテン。 はその揺れをじっと見つめたまま動かなかった。
「…選考も終わったんだし、ほんと、少しでいいから体を休めないと。それこそ今無理したら五輪に出場出来なくなっちゃうわよ?それでもいいの?」
「…はぁ…」
「それじゃぁ私は職員室にいるから。何かあったら机の上の電話、かけてきてちょうだい」
「はい…」
 もう一度ニコリと笑いかけると、先生はゆっくりと保健室を後にした。
「…」
 風通しのいい教室。
 夏には最高の場所だろう。
 体も心も洗われる様で、 はゆっくりと目を閉じた。
「…」
 答え…出してくれるだろうか?
 初めて会っていきなりそんな事は聞けないけど、でも…何か言ってくれそう…
「あたしと似てるならきっと無愛想に『だから?何?』とか言いそうだぁ…クス…」

ガラ!

「先生!」
「!」
 と、ゆっくりとした時間の流れを穏やかに感じていたのも束の間。突然勢い良く戸が開いたかと思うと今度は大きな声で入ってきた男子生徒に、 は思わず体を起こした。
「…(な、何事?)」
「先生!…いらっしゃいますか!先生!」
「いないみたいだね?」
「ああ…職員室かもしれない。とりあえずベッドに運ぼう」
「了解!」
「?!」
 その声にドキリと胸を鳴らした は、兎に角ベッドに寝転がり、寝た振りをした。ベッドの周りは白いカーテンが引かれており、パーテーションの役割をしていた。その所為で、入ってきた英二と秀一郎は がそこにいる事にまだ気が付いていなかった。
  が何故だか、顔を合わせるのが怖いと感じたのは、きっと自分の今の立場が無条件に反応したのだろう…人との接触を一番に拒んでいる所為で。
「ここ空いてるよ?大石」
「ああ…?あれ?誰か休んでるみたいだな…」
「じゃぁ静かに静かに…」
「え、英二…それじゃぁこそ泥みたいだよ…普通でいいんじゃないか?」
「へへ…そだね」
 二人はリョーマをベッドに乗せると、とりあえずホッとため息を付いた。ボールが思い切り顔面を直撃したリョーマは、気を失ったのだ。
「…あの…先輩たち。俺、もう平気っスよ」
「越前」
「あ!おチビ!大丈夫か?んもぉ〜びっくりしたじゃんかぁ!」
(え、越前…って…越前 リョーマ?)
 勿論寝た振りをしているだけの の耳にも会話はしっかりと聞こえており三人の声がドキリと の胸を鳴らせた。
 そう。
 隣のベッドで横になっているのはさっきまで考えていた人、越前 リョーマだったのだ。
「駄目だよ、越前。少し横になってないと」
「…けど」
「いいからいいから!おチビは休みなさい!」
「…はぁ…」
「気が付いたのならとりあえずは安心だな。じゃぁ越前。俺と英二は行くけど、先生にはちゃんと伝えておくから安心して休んでくれ」
「…はぁ…」
「英二、行くぞ?……?英二?」
 と、英二に声をかけるも返事が無い。不思議そうに秀一郎は英二の顔を覗き込んだ。
「?何だ?どうしたんだ?カーテンの間から…」
「ね、ね…隣で眠ってるのってさ!もしかしてぇ ちゃんじゃねぇ?」
?」
「…!マジっスか?英二先輩」
(ばれたぁ?つか何で覗き込んでんだぁ?用が済んだらさっさと出て行きなさい!クラブに迷惑がかかるでしょ?)
 リョーマ達に背を向け、横になって眠っている を、二人はソッとカーテンを開け、覗き込んだ。
 何となく視線を感じる だったが、寝た振りを必死になって演じている。が、口元がどうしても揺れる。
「?(こいつ…)」
 その異変に気が付いたのはリョーマ。ベッドから少し体を起こして の顔をチラリと見つめた。
「この間の選考会で世界新記録を出したって言う彼女か…」
「やっぱ可愛いにゃぁ〜!俺、こんな近くで見るの初めてにゃんだよねぇ〜!」
 と、英二は調子に乗って枕から流れ出ている綺麗な髪にソッと触れようとした時だった。
「あ、部長」
「!」
「て、手塚?」
 リョーマの声に驚いた英二はドキリと大きく胸を鳴らすと、その手をグンと上に突き上げた。側にいた秀一郎は特に驚くでもなかったが、一緒になって悪戯をしている様に見られたのではないかと胸を鳴らしてしまった。
「なぁんてね…冗談」
「お、おいおい…」
「おぉぉぉチィィィビィィィィ!」
「つーか起こしちゃ駄目っスよ…さっき桃先輩が言ってたけど、練習がハードで体調、悪いらしいっスよ」
「そうだよなぁ…選考会なんだもんなぁ」
「…にしてもぉ、さっきのおチビのその声、反則反則!」
「兎に角、部活に戻ろう、英二。保健室でふざけるのはやっぱり不謹慎だ。病人がいるんだから」
「はぁい…ちぇ!折角間近で見れたのににゃぁ〜…」
「それじゃぁ越前。ゆっくり休んでくれ」
「はぁ…い」
「迎えに来てあげるかんね!おチビ!ちゃんと待ってるんだよぉ!」
 名残惜しそうにリョーマを振り返りながら保健室を後にする英二、呆れ顔の秀一郎は、静かに戸を閉めた。

 パタンと言う音を確認すると、リョーマはドサリとベッドに体を預け、両手を枕代わりに後ろへと回した。
「…」
「…もういいんじゃない?寝た振り、疲れたっしょ?」
「…!(バ、バレてるよ…)」
 二人の間に静かに風だけが吹く。
 上を向くリョーマの前髪。背を向けている の長い髪。フワリと揺れながら時間だけが過ぎて行く。返事のない事に少し苛立ちもあったが、何故だかそれはそれで良かったと思うリョーマ。
「…あんた、凄い人気っスね」
「…!」
「英二先輩が夢中だったなんて知らなかったけど…」
「…」
「…」
「…」
 こんな声なんだ…何だか妙に落ち着くのはどうしてだろう…
 今まで人の声が一番聞きずらかったのに…一番聞きたくないって思ってたのに…なんでだろう。
「…別に。人気取りで有名になった訳じゃないから」
「!(この人…こんな声なんだ…)」
「好きな事を命一杯やって、それが結果に出たってだけ。何も大騒ぎする事じゃない」
「…確かに」
「…でしょ?」
「…」
 なんでだろう…初めて聞く直の声に、俺、なんでこんなに気持ちの奥が熱いんだろう…何もしていないのに。
 なんでだろう…
「ひとつ、聞いてもいい?」
「?何?」
「君さ、何でテニスしてんの?」
「はぁ?何それ」
「質問してるんだけど」
「…分かんない、そんなの」
「フーン…」
「何でそんな事聞くの?」
「さぁ。分かんない」
「…!」
「分かんない…だから君に聞いた」
「?」
「足を踏み入れた場所が、間違ってたのかって思う時があってさ。あたし、今何で水泳をしているのか分からなくなったんだ…周りはさ、選考も終わって代表に選ばれたからきっと気が抜けたんだよって言う。だけどそんな単純なもんじゃないって…あたしにはそう思えてならなかった」
「…」
「好き…」
「!」
  の一言にドキリと胸を鳴らすと、リョーマは後ろに回していた腕を解き、体を少し起こして驚いた。
 自分の事を話していたと思いきや、突然、告白の様な言葉を言い放つ。しかも自分はどこかで を気にしていた。その所為でもあったのか、リョーマは少し動揺した。
「ずっと好きだった…いや、好きなのは今もそう…なんだけどね…」
 と、 は体をリョーマの方へ向けた。
 目が合うと はニコリと笑ってリョーマを見つめたが、リョーマは自分の事を好きだと言っているのだと勘違いし、目を合わせてもフッと反らして天井を見上げた。
「取り残された気持ちで一杯だったのは、自分の好きだと言う気持ちが周りに押しつぶされそうになってるからだって簡単にさ、人って言うんだよね…周りの勢いに負けてしまってるからそんな弱音を吐くんだって…あたし、そんなに弱虫じゃないのにね…決め付けちゃってちょっと…」
「… …?」
「ずるいよ…ね」
「!」
 顔は笑っている。
 だが大きな瞳からはその目に似合っただけの涙が浮かんで輝いている。
 リョーマはそんな の顔を見ると高鳴っていた胸の音を更に大きく鳴らせた。
 女の子の涙でここまでの気持ちになった事なんてない。それだけにドクンと大きな音が鳴ったといえばそうだろう。だが、勘違いで聞いた言葉の後の涙だけに、自分が泣かせてしまったと、思わずにはいられなかったのだ。
「夢が…夢でなくなった日だった…」
「夢…?」
「夢。そう夢。絶対に足を踏み入れなければ…知る事のなかった痛み。あたしは好きだと思ってきた今までの人生に後悔しまくった…悲しくて仕方なくてどうしようもなくて…泣きたくて…でも泣けなくて…」
「…」
 素直に、無意識に体を起こすと、リョーマはベッドに座り、足を前に放り出した。
 リョーマのいるベッドと のいるベッドの間の距離は、人一人が入れる位の狭いもの。手を伸ばせばすぐに届いてしまう。
 だからだろうか?
 座って君の横顔を見ていれば、いつでも手を差し伸べる事が出来ると…
「泣かなくてもいいんじゃない?」
「?越前…?」
「自分が一旦信じた道なんでしょ?一時でも真剣になった事だってあるんでしょ?」
「そ、そりゃあるっつかあたしはいつでも真剣だった!それにあたしの信じた道は一旦なんてそんな甘っちょろいもんなんかじゃない!」
「だったらそれでいいじゃん」
「!」
「何もしゃっちょこばること、ないんじゃない?今のままの でいいと思うけど?」
「…今のままの…あたし?だって?」
「踏み入れた先の暗闇よりは、なんだ、こんなもんなのかって思う方が全然楽だし」
「…楽…」
「夢が夢じゃなくなる日…だったら終わったその日からまた夢を見ればいい…」
「…!越前」
「きっといい結果が出ると思うけど?」
「いい…結果…か」
「…そう、いい結果」
「なんだ…そうだったんだ…なんだ…あたし、そんな事で悩んでたんだ…」
?」
「ククク…ハハ…アハハハ!」
「?何?急に」
 横になったままの姿勢で、 は大声を上げて笑った。
 なんだ…そんな事か…
 そうなんだ。
 夢を見終われば、そこからまた見ればいいなんて…越前 リョーマってほんと、凄い奴なんだ。
 キョトンとして大声で笑う を見ているリョーマは、告白を受け、その答えを遠まわしに言っただけなのにどうしてそこまでして笑うんだろうと、不思議でならなかった。
「超単純!あたし!」
「みたいだね…?何?」
 布団からソッと手を出すと、 はその手をリョーマの座る前に差し出した。
 お世辞でも白い色の肌とは言えなかったが、スラリとしている の腕にリョーマはまた、ドキリと胸を鳴らした。
「手…」
「手?」
「握手…君のおかげであたし、道を見出す事が出来た。感謝する、越前 リョーマ」
「ならよかったじゃん(それって俺の言った事を理解したって事?)」
「だから手…」
「…」
「?越前?」
 と、リョーマはそんな にムッとすると腕組みをし、 の手を無視した。
 違う。
 そんな答えを待っていたんじゃない。
 だけど考えてみれば俺、こいつの事好きなのか?何でこんな必死になってんだろう…分かんなくなっちゃうじゃん…
 けど…
「それ、OKって事?」
 何言ってるんだ?俺…好きだって聞いて自分もそうだったんだって思っただけなんじゃないの?その手、繋いだら嘘でしたなんて言えないけど?
「OK?」
「OK…」
「OK…かな?(OKってあたしの気持ちに答えがOKって事だよね?じゃなきゃなんだろ?)」
「かなって!そんなんじゃいらない」
「い、いらない?」
となんか握手してやんない」
「?よく分からないけど、まぁいいや。握手してくれなくても」
「! !」
「アハハ!冗談だって!ほら、手、出して」
「…」
「怒ったって事は握手してくれるんだったんでしょ?やっぱ意地っ張りなんだね?越前ってさ」
「意固地な に負けるけど」
 ムスっと横を向いたリョーマだったが、差し出す の手にソッと自分の手を乗せグッと掴んだ。
 柔らかくてとても温かい…
 それを感じると、リョーマは軽く頬を染めた。
「…温かい…」
「…」
「人の体温ってこんなに温かいものなんだぁ…知らなかった……」
「俺のは特別なんじゃない?」
「クス…特別かぁ…そうかも。あたしね?君に会ったらもしかして今悩んでる事、解決出来るんじゃないかて…ちょっと思ってたんだよね…君なら…何て思うかな?君なら……何て……言うかな……って…」
「…答え…でたっしょ?」
「…ん……そ…だね…」
 心の奥からじんわりと温かさを感じると、リョーマは穏やかな気持ちになっていった。
 驚いて、言ってあげて、少しすねてしまって…そして温もりを感じると穏やかになる。
 いっぺんに何もかもの感情が湧いて出てきた様で、顔の辺りが緩んでくる。
 今度は…笑顔の番…
「何も…痛みを感じて泣くのは悪い事じゃない。それって自然の摂理でしょ?我慢するから溜まっちゃったものが一気に噴出して処理しきれなくなる…ただそれだけだし。それに…我慢なんてするからこうなっちゃうんじゃないの?もうちょっと肩の力抜いた方が、いいと思うんだけど…」
「…ん?……ん……」
「それにさ…どうしても我慢しなくちゃいけないって時…俺を呼んでくれたって…いいんだけど」
 顔を横に向けたまま、リョーマは思い切って言ってみた。
 多分今言った言葉でさえ、照れて言えない様なリョーマ。だが口からはすんなりと言葉を発していた。
「…? ?」
 照れながらソッポを向いて伝えた言葉に返事の無い保健室。静まり返ったそこには風で揺れているカーテンの音がやんわりと微かに聞こえてくるだけだった。
「ねぇ… ?」
 チラリと を横目で見ると、リョーマは目を大きく見開いた。
…?!」
「…」
 さっきまで開いていた大きな瞳は、長い睫を下に、瞼で隠されていた。そう、眠ってしまっていたのだ。
「…ちぇ…寝てるのかよ…」
 ブスっとしたものの、その寝顔を見ていると、心の中が驚くほど穏やかになっていく。
 さっきそうだった以上に落ちついている。
「…Close Your Eyes…」
 ボソリと呟くと、リョーマは手をギュッと握って微笑んで を見つめた。

 きっと…桃先輩に聞くまで気付かなかっただけだったのかもしれない。
 だって、いつの間にか視線の先には がいたから。
 俺に似てるなんて言われたたら、滅茶苦茶気になってどんな感じだろうなんて思ってみたけど、でも…やっぱり前から気になってたのかもしれない。
「…なぁんてね…そんな事言ったら俺の方が分が悪過ぎだし」
 手を繋いでるとさ、なんか の事、全部分かっちゃったみたいなんだよね…これってさ、人肌でしか感じられない何かなんだろうと思うんだけど、 はどうなんだろう。
「先輩…って感じ。全然しないんだけど」
 俺に似てるなんて言われたら、滅茶苦茶気になってどんな感じだろうなんて思ってみたけど、でも…やっぱ年上を感じさせない所為なのかもしれない。つっても、一つしかしらないんだけど…
 
 寝顔を見るだけで色んな事を思ってひとり、微笑んでいるリョーマも、ゆっくりとベッドに凭れ、目を閉じ、眠ってしまった。

  の手…滅茶苦茶温かいんだもん…俺も眠くなっちゃったじゃん…
 引き込まれる様に…その繋いだ手の温もりで…安心……しちゃったかも。


「リョー……マ…」
 きっと答えを出してくれるから会いたかった。
 きっと何か自分の思う事をストレートに言ってくれたリョーマだったから、安心しちゃったんだと…思うんだ。
 桃がね?
 毎日さ、リョーマの事、言うもんだからあたし感化されちゃったのかなって、思ってた。
 けど、それは違ってたみたいだ…ね?


 全く接点なんてない。
 同じクラスでもなければ同じ学年でもない。
 だからあたしは気になってた。どんな人でどんな声でどんな笑顔で…どんな…温もりで…
 だからあたしは錯覚に陥ったんじゃない。
 本当はもうずっと前から好きだったんじゃないかって思うんだ。
 目が覚めたら、一番に言ってみよう…
 人との接触は好まないあたしだけど、でも、リョーマには言えそうなんだ。
 あたしを見て欲しいって…
 OK?って聞かれた時、あたしはリョーマが自分でいいのか?って聞いたと思っちゃったんだけど、これって自惚れ?それとも、期待通り?
 目を開けるのが楽しみな癖に、あたし、負けそうだ。

 だって…


 繋いだ手の温もりが、いつまでも続けばいいなって思っちゃったから…


 In the effect of getting warm of the hand that tied to you, I think that it is
very unpleasant to open eyes.
Therefore, you must be on the side when my eyes open.
You must realize the wish so that my shutting its eyes again may become the
enjoyment.

 


END



※おまけ※


「越前と が?そうっスか」
「何だァ?桃。あんま驚かないじゃん」
「え?ええ…まぁ」
「なぁんか怪しいにゃぁ〜…」
「別に怪しくなんかないっスよ…英二先輩。俺はただ…」
「ただ…何?」
「気になってる癖にお互い意固地だから背中、押してやっただけっスよ。それも目茶軽く」
「??意味が分かんにゃいよぉぉ!」
「ハハ!ま、あの二人が目を覚ましたら分かるんじゃないっスか?越前の奴、ぜってぇスッキリして帰って来ますから」
「おチビがぁ?ん〜…それまで待てにゃいから今から行っちゃおうっかなぁ?」
「あ〜!駄目っスよ!英二先輩!二人は今、休息してるんスから!それに練習さぼってたら怒られますよぉ!」
「んもぉ〜!だったらちゃんと教えなよね!桃!」
「…しょうがないっスねぇ…じゃぁこうしましょう」
「?何?」
「ワンセットマッチで試合しましょうよ。んでぇ、俺が勝ったらこのまま越前が帰ってくるまで待つ!」
「んじゃぁ、俺が勝ったら行ってもいいんだね?」
「俺が教えます」
「え?ええ?それってさぁなぁんかどっちにしろ桃の言う事聞かなくちゃいけなくないぃ?」
「ならいいっスよ?」
「分かった分かった!よぉぉし!勝負だ!桃!」
「そうこなくっちゃ!」

 思い切り態度に出るキューピッドじゃぁ、あいつら滅茶苦茶頑固だから余計意地張っちゃうだろうってね。
 さりげなく教えてやったんだけどさ。
 けど俺、二人にお礼言われても良い位だぜ?
 
 意固地な天才二人に…

「よかったな… 。越前」