「ちょっと待って・・・!」
すぐに呼びかけたけど、あたしの声はその人には届かなかった。
さ さ や か な 嘘
それは水曜日のことだった。
学校が終わって家へ帰ろうと駅に向かって歩いていたとき。
同じ学校の制服を着た背の大きな男の人が急いでいるように走ってあたしの横を通り過ぎた。
そのときポトッと音がして、あたしの斜め前にはその人が落としたらしい何かが落ちていた。
あたしは慌ててそれを拾い、その人を呼びかけたけど届かなかったようで。
その人は足を止めることなく走って行ってしまった。
「・・・・・鳳、長太郎・・・」
その人が落としたのは生徒手帳で、中を見てみるとそう書かれていた。
呟くように書かれた名前を読んでみると、なんだかどこかで聞いたことのあるような名前だった。
隣に貼られた写真もどこかで見たことがあるような、・・・ないような。
そんな気がしたけど考えても思い出せなかった。
二年C組九番・・・、二月十四日うまれ、O型、か。
って、一つ年下?・・・一つ年下に知り合いもいないし。
仕方ないから明日にでも届けてあげようかなと思いパタンとそれを閉じて制服のポケットに入れておいた。
「おう、長太郎。来たか」
それから一週間近く経って、たまたま宍戸がそう言うのを聞いてハッとする。
長太郎って!
そう思いあたしは慌ててポケットを探る、と。
当然だけどそこには生徒手帳。
返すの忘れてたーーー!
と焦りながら宍戸と話している子と生徒手帳の写真の子を見比べる。
「あー!!」
その・・・鳳くん?を指差し、宍戸の用が済んで教室から出て行こうとする彼を一目散に追いかける。
「ちょっと待って・・・!」
あの日のようにあたしは彼を呼びかけると、
「え?」
と言って今度は振り返ってくれた。
ふと顔を上げると、その身長の高さに驚いた。
顔も写真で見るより爽やかでカッコいいし。
ボーっと眺めていたらしく、鳳くんが、
「先輩?どうかしましたか?」
と言ってきてあたしはハッとする。
「ご、ごめん、あの、コレ」
「?・・・あ!どうして先輩が?」
「ほ、ホントはすぐ返しに行こうと思ってたんだけど・・・」
ニコニコと微笑みながらずっとあたしの顔を見てくる鳳くん。
鳳くんに見られることが凄く恥ずかしくて、ドキドキして。
言葉を続けることが難しくて言葉が止まる。
「あ、の?」
言葉をとめたあたしに鳳くんは顔を近づけてどうしたの?っていう顔をしてくるから。
あたしは本当に恥ずかしくて、ついには俯いてしまった。
一応チビだけど上級生だし、凛としていたかったんだけどな。
「あ、とりあえず、コレ・・・」
まだあたしの手の中にあった鳳くんの生徒手帳。
それを押し付けるように鳳くんに渡すと、
「この前帰るときあなたがあたしの横を走って行って・・・。そのとき落としたみたいだからっ!」
あたしは視線を鳳くんの首辺りに向けて早口にそう言って、
「じゃ、もう落とさないようにね」
と視線も合わせないまま少し笑って言い切ると、逃げるようにくるりと踵を返すと当てもないまま早足に廊下を歩いた。
鳳くんが今も傍にいるわけでもないのに、胸はざわざわと落ち着かなくて。
体からは変な汗が沢山出ていた。
最初から行く当てもなかったあたしはいつもの場所に足を運んだ。
昼休みの音楽室は誰もいなくて、いつも凄く落ち着いた。
今日も気持ちを落ち着かせようとピアノを開き、向き合うようにピアノの前に立った。
ピアノの上にたまたまのせられていた楽譜を手に取り弾いていた。
何度か躓きながらもその曲を弾き終えたとき、本当に何気なく音楽室入り口辺りを見たらそこには鳳くんが立っていた。
表情は凄く柔らかくて、急に恥ずかしくなってきて。
動揺を隠せない。
でも、何て話しかけたらいいのかなんてわからなくて、あたしはただ黙ってピアノに写る自分の姿をチラチラと眺めていた。
「先輩」
「え?」
急に呼ばれた自分の苗字に驚き顔を上げるとフッと笑って彼があたしの傍に近づいてきた。
「俺、本当は先輩のこと知ってたんです」
「え?」
更にそう続けて言う鳳くんに、あたしはわけがわからなくて。
だって、ホラ。
あたしは思い出そうとしても思い出せなかったわけだし・・・多分彼とは初対面・・・のはず。
「俺、あなたのことが好きです。・・・いきなりこんなこと言ったら、嫌われちゃうかな」
表情は優しいまま、彼はそう言ったけど。
あたしには到底理解できなくて、黙り込む。
初対面の相手に好きだとか・・・どうなんだろう。
この人カッコいいから、モテるだろうから・・・あたしを試してる?
なんて考えていたら、
「あの、俺のことなんて、・・・知らない。ですよね?」
「え、あー・・・はい」
「俺、テニス部の鳳長太郎って言います。二年です。先輩のことは宍戸さんの教室に行く度に見かけて知ってました」
「は、はぁ・・・」
「先輩の弾くピアノも好きです。それで生徒手帳落としたのもわざとです」
そういう鳳くんにあたしはついえ、と声を漏らして彼を見てしまった。
そしたらニコリと鳳くんは笑っていて。
「やっとこっち向いてくれた。あれは・・・わざと先輩の前で落としたんですよ?」
悪戯な笑顔であたしを見て笑ってくれる鳳くんにあたしの胸は跳ねた。
多分顔、赤いんだろうなって思うくらいの熱を感じて、自分の頬に手のひらをあてた。
「・・・先輩が好きです。付き合ってくれませんか?」
そう言って照れくさそうに笑う鳳くんがなぜだかわからないけど有無を言わさないような表情に見えたから。
あたしは首を縦に振るしかなかった。
「よかった」
鳳くんはそういうと今まで余裕そうだった笑顔を崩して、嬉しそうに笑ってくれた。
「あ!思い出した!宍戸のパートナーの人だ!・・・って誰かが言ってた・・ような・・・?」
「俺のこと知っててくれたんですか?」
「うん・・・多分・・・一応・・・」
そう言って微笑む鳳くんの顔を見て、あたしは彼のこと多分それしか知らないんだろうなと思ったけど。
この人の一言一言にいちいちどぎまぎして。
どうしようもなく動揺している自分に気が付いた。
それはきっと、あたしの気持ちも。
初めて鳳くんと目が合ったあのときから始まっていたんだと思った。
華月いちご