どうしても、踏み出せない一歩。





日吉は縁側に足を投げ出して座っている。
耳に入ってくるのは騒々しい音ばかりで、いつもならうるさい、とでも言いに行くのだが、今日はそうもいかない。
妙に研ぎ澄まされた聴力は、何かを擦るような音と、少し急いたような足音を認めた。

ぱしっ、と襖の開く音がして視線をやると、息を切らしたが目を少し瞠って立っていた。

「ここ、に・・・いた、・・・・・はぁー」
か」

わかっていたくせに、ため息と共に言葉を発する。
入ってきたは着物にしては全速力できたようで。―――開いてしまった裾を軽く直すと、深呼吸を何度かした。

「若くん、あけましておめでとう」
「・・・お前、そんなこと言いに来たのか?」
「そう、だけど?」
「・・・・・・・・・・」

馬鹿か、といった表情を満面に浮かべた日吉。
その格好が袴なのは、今日は日吉の家で新年のお祝い―――つまりは新年会のようなものが執り行われていて。
の家とも近いというから道場同士、対立することも多いだろうと思われがちだが、流派が違うのか特にといったいがみ合いは無く。
表向きは親交を深める、とかなんとかだが、結局は酒を飲みにきただけのような集団と毎年毎年わいわいやるはめになるのだった。

というわけで、未成年には行き場がないのだ。
それぞれにいる兄も既に成人済み。隣の大広間での騒ぎに加担している。

日吉もも一応は参加はしているが、いないも同然の酒盛りに日吉は少々不機嫌なようだ。
片や着物を着せてもらって袖を楽しそうにひらひらさせているに、日吉は単に邪魔くさい、としか思っていないようだし。
またもやため息をつけば立て膝をついて立ち上がった。

「あれ、若くん?」
「練習してくる」

素っ気なく言っての横を通り過ぎようとしたのに。
日吉の足は前で通せんぼをしたに止まった。

「抜けたらみんな心配するよ」
「・・・・別に俺がいなくてもいいだろ」
「・・・若くん、もしかして拗ねてるの?」

そう言ったものの、次の瞬間日吉の殺意を感じては黙った。
うう、と下を向いたに、チッ、と舌打ちをして日吉はその場に座りこんだ。

「いいから放っておけ」
「でも私も暇だし・・・久しぶりでしょ、2人きりなのは」

笑顔でそんなセリフをよく言えるな。
ぼそりと呟いても、へ?みたいに聞こえなかったような顔をする。その顔は日吉の一番嫌いな顔だ。
いつもは何だかんだで腰が引けてしまうくせに、気付いてしまえばいいのに、とこの場では思えた。

そう思ってしまったら、無造作に置いていた手がぴくりと反射的に動いて。
あと少しでの方に伸ばされるはずだった手を理性で押さえつけて、手は自分の髪を直すかのように動く。
いろんな意味で心がため息をついた。・・・我ながら情けない。

「若くん、なんか変」
「・・・別にそんなことは、ない」
「ほんと?体調悪くない?人酔い?」
「お前・・・うるさい」
「ひっどい!心配したのに・・・」

よよよ、と泣くふりをして身を引くに、また心臓は高鳴りを押さえようとする。
話すたびに近づくのは止してほしい。

それでもまだとの距離は近くて、日吉はいつぷつりとなってしまうか妙に冴えた頭で考えていた。
立ち上がって距離を取ることは出来るのに、どうもその場から動けなくて。
ある意味四面楚歌状態の日吉に、救いの手を差し伸べた(?)のは紛れも無くだった。

「ね、若くん。ちょっとお庭散歩しない?」
「・・・いきなり何だ」
「若くんの家のお庭は広くて迷うから、案内。お願い!」

暇そうな日吉に少しでも面倒を、と思ったのだろうか、庭なんて腐るほど歩き回ったことがあるくせに、無理して手を合わせてみたりして。
そんなを一瞥すると日吉は盛大にため息をついた。

「行くからやめろ、・・・気持ち悪い」
「何さ、気持ち悪くて悪かったわね!」
「で、行くのか?」
「それはもちろん行く、早く早く!」

先にたたっ、と足を早めて歩くに、日吉は目を細める。
急がずともいいのに、はしゃぐは見ていて飽きない、というか可愛かった。

「若くん!」
「わかったよ、」

振り返って手招きしてくるに、日吉は精一杯面倒くさいかのように振舞った。








***






「相変わらず、綺麗な池だねー」
「・・・そうか?」
「うん。・・・良かったねーうちと違って綺麗な池で」
「・・・誰と話してるんだ」
「あの鯉」
「脳までめでたくなったみたいだな、お前」
「あーっ、それどういう意味!」

「意味も何も、そのままだ」

む、と膨れて見せたに茶化すように言えば、はもっと膨れて、ひどいよねー、なんて鯉に同意を求めている。
一瞬本気で心配になった日吉は、少しだけに近寄った。同じタイミングで、が振り向く。

「ほら若くん、ぱくぱくしてるよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・そんな目で見ないで欲しいんだけど」

どーせおめでたいわよ、とぶすくれて。
は池に渡された石に歩を進めていく。日吉は柳眉を顰めると、静か過ぎるほどの声で、

「・・・お前、落ちたら」
「え?」
「着物汚したら終わりだからな」
「うう・・そうだった、着物着てるの忘れてた・・・」

残念そうに呟いたの足元で鯉がぱしゃり、と跳ねた。

「はわっ」
「!」

慌てて日吉が手を伸ばして、の手を引いた。・・・までは良かったのだが。
何を思ったかがふ、と少しだけ笑った。イタズラを思いついたときの顔だと、日吉が気付くや否やがぐい、と思い切り手を引いて。
ぐらり、とそのまま傾いた。


ばっしゃーん。


悠々と泳いでいた鯉たちは散り散りに、と日吉の落ちたところから逃げてゆく。
"あっちゃー"の表情だったも、ことを理解してやばい!、という顔になる。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・あの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


ぽたぽたと、髪から水滴が落ちる。
日吉の唇から、小さく声が漏れた。
震えていたのは、怒ったからでも寒いわけでもなかったらしい。


「・・・若くん?」
「・・・れ、ろ」
「え?」

「・・・離れろ」


濡れて肌に張り付いた着物に、生暖かい温度が足される。
日吉の手が首の後ろに回されていることに気付いても、抱きしめられていることだけは理解できない。
窮屈な両手を伸ばして一瞬突き放そうとしたに、日吉はびくりと肩を震わせて、離した。

「わ・・・若くん?」
「・・・何でもない」

ばしゃ、と音を立てて日吉が立ち上がろうとしたのに、は再び日吉の手首を掴んで戻した。
日吉は少し驚いたように、しかしの力には抵抗しない。


「・・・やっぱり変」
「だからそれは、」
「何かあるんなら、言って?」
「・・・・っ・・・・」

何の躊躇いもなく、今度はが日吉に抱きつく。
兄妹のような子供っぽい抱きしめ方に、必死で自分のことを考えてくれていると気付いても、切なさは増すだけで。
そうして少し傷ついた心で、優しく接することが出来るほど日吉は大人じゃないのだ。

「・・・馬鹿かお前」
「・・・・・・・・馬鹿じゃないもん」

む、と傷ついたように怒ったふりをしてみるを見れば、無力感が全身に広がっていく。
唇の距離は10cmともないのに、何をこんな話をしているのだろうか、情けない。

「本当に、馬鹿だ」
「・・・若くん?」

がく、との肩に頭をもたげれば、ゆっくりと伸ばした指を、唇の代わりに触れさせて。

ちゃぷ、と水面が音を立てる。







唇に触れ
(情けなくて、温かかった、)












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silent star様、1周年とあけましておめでとうございます。
お正月、ということで私的にお正月が似合うと勝手に思いこんでいる日吉くんにて書かせて頂きました^^*
びしょびしょのまま、このあとどうするんだろう・・・と無責任に思ってましたが、たぶん怒られるんだろうな・・・(当たり前)
ここまでお読みいただきましてありがとうございました、よいお年を〜´`*

Prince Memory 月村時音