伝えたいのはたった四文字の言葉なのに。
たった何文字かを便せんに書き記してからそれをくしゃくしゃに丸めた。また失敗だ。
もうかれこれ1時間以上こうやって和柄で縦書きの便せんに言葉を乗せてはそれを捨てている。
便せんが和柄なのはただ単純に彼―柳君に似合うだろうなと思ったからで、縦書きなのは柳君が英語のノートまで縦書きを利用するくらい縦書き好きだという話を聞いたから。
少しだけ目を伏せると柳君の姿をくっきりと思い浮かべることができる。
細い目
白い肌
切りそろえられた髪と形の良い耳
それとさらさらと筆を進める、綺麗な手
柳君の書く字は水が流れるようになめらかで、どこか静かな雰囲気が漂ってるのに優しくて。
それは柳君をそのまま表すような形。
私はその字…を書く柳君に恋をした。
「あー、もう今日はやめよ。」
ぽつりと呟いてシャーペンを置く。
口に出すことが出来ないならせめて文字に出来れば…そう思って結局今日も書けなかった。
ああもう、これで3日目だ。
+
「、筆順が間違っている。」
「えぇっ、違うの?」
「この字はこの点が先だ。」
「今までずっと点が後だと思ってたのに…。」
「小学校で習わなかったのか?」
「あははは…覚えてません…。」
時間はきっと教室ではみんながお弁当を食べてるだろうという頃、私と柳君は書道室にいる。
きっかけはほんの少し前、たまたま先生に問題を板書するように言われた時のことだった。
私はあまり字が綺麗じゃなかったから板書は本当に嫌だったのに対して、隣の柳君はなんの迷いもなくすらすらとチョークを進めていく。その姿に思わず私がうらやましい、と呟いたことからこの二週間近く昼休みの短い時間を使って柳君の書道教室が開かれている。
授業が終わるとお弁当を友達に引かれるくらいのスピードでかきこんで私はいつも書道室に走って柳君が来る前には準備を済ませている。
「できの悪い生徒でゴメンね…」
「いや、飲み込みは早いほうだ。もう少し教えられる時間があればさらに上達は早いのだろうが…」
「テニス部忙しそうだよね。本当は昼休みも練習したいんじゃ…」
「その点は問題ない。放課後の練習だけでも充分なメニューを組んでいるつもりだ。」
「……ありがとう。」
「気にするな。俺も初心に返ることが出来て勉強になる。」
「あ……」
「どうかしたか?」
「ううん!なんでもない!」
柳君の笑った顔に見とれてました、なんて言えるわけがない。
指示された文字を書いて、柳君が添削する。
他愛もない話をして、たまに笑ったりして時間が過ぎていくこの心地よさを私を知ってしまった。
だからこそ思いを伝えるのが、怖い。
伝えることでこの時間を無くしてしまうことが怖いけれど柳君にもっと近くなりたいと思う。
矛盾した二つの感情がぐるぐると渦を巻いていて、それがきっと手紙を書ききらない原因だ。
失う物と得るもののどちらが大きいのかわからない。
「、大丈夫か?」
思考の波にのまれかけたとき、柳君の声が届いた。
変化の乏しいその表情の中に少しだけ心配が浮かんでいる。
こんな優しいところも、好きでたまらないのに。
「柳君、は…」
「ん?」
「なんで、こんなことしてくれるの…?」
気がついたら飛び出した、ずっと疑問に思っていた言葉。
柳君との書道教室が始まってから嬉しいと思う反面、テニス部の三強と呼ばれて女子にも人気の高い柳君が私なんかに親切にしてくれる理由が分からないと思っていた。
柳君は一泊呼吸を置いてから寂しげに目元を緩めた。
「こうやってクラスメイトとの時間を持つことが出来るのも残りわずかだからな。」
「……え……?どういう…」
「もうすぐ授業が始まる。急いで行くとしよう。」
柳君の言葉の真意は結局分からないまま昼休みは終わってしまった。
残りわずか、という響きに自分の中の何かが激しく揺れる。
+
驚愕、というものが一番しっくり来ると思った。
「柳…大会が終わったら短期留学に行くらしいぜよ。」
帰り支度をしていたとき隣の席の仁王君が目の前に来てそんなことを呟くように言った。
顔を横に向けると仁王君は笑い顔にも泣き顔にも似た顔で私をじっと見ている。
「留学ってどのくらい…」
「さあ…早ければ2,3ヵ月、長ければ1年以上ちゅう話ぜよ。」
「いち、ねん…」
たった3年間の学生生活しかない私達にとっては1年という時間はあまりにも大きい。
それはきっと簡単に人一人を忘れられるくらいの時間…。
「お前さん、どうするぜよ?」
「留学……。」
「このまま黙って見送るんか?」
「っ……」
「柳はお前さんのことなんか忘れてしまうかもしれんのう。」
それがスイッチだった。
+
部室には誰もいなくてただ雑然としている。
正直自分にこんな度胸があるとは考えても見なかった。
誰もいないことを見計らってテニス部の部室に入って柳君の鞄に手紙を入れる、なんてそこまでの度胸はあるのにそうしても直接渡すつもりにはなれなかった。
そういうところはどこまでいっても自分は臆病なんだって思い知らされるところ。
柳君の鞄は広げられたノートと一緒に机の上に置いてあった。
そのチャックを慎重に開けて、封筒に入れるどころかただむきだしのルーズリーフをすべりこませようとした時、部室のドアが開いた。
それは図ったかのようなタイミングで。
「や、なぎ君…」
「…?」
こんな状況怪しすぎる。
ああ、最悪だ。
「違っ…これは………っ、ごめんなさ」
「それは?」
「へっ?わっ、ちょっ、柳君!?」
走って部室を抜け出そうとする前に柳君はものすごい勢いでこっちまで近付いてきて私の手にあったルーズリーフを奪い取った。
柳君のしなやかな指が四つ折りの紙を丁寧に開いていく。
”好きです”
3日も悩んで気の利いた言葉も出てこなくて、それでも伝えたくて必死に絞り出した言葉。
柳君に教えてもらって、前よりは少しだけ綺麗に書けるようになった文字が無地の中にぽっかりと浮かんでいる。
それを見つめる柳君を見ながら私は何も言うことが出来なくて、ただ顔が熱くなる。
「」
沈黙を破って柳君が更にこっちに一歩近付いて、そのまま私の手を掴んだ。
「っ!?」
「じっとしていろ。」
手首を押さえたまま、柳君は私の手のひらを指でなぞっていく。
なめらかに滑るところが妙になまめかしくて、くすぐったい。
「………あ…?」
「口に出すな。」
「う、うん…。」
少し汗で湿った指が一文字の輪郭をなぞっては離れて、また別の文字をなぞる。
あ
い
し
て
い
る
「…………なっ!?」
「がここまで急に動くとは予想外だったな。」
「予想外、て…」
「が俺を好いている確立100%…というのは俺の自惚れか?」
「全然全然!!」
「そうか……そして」
「おれがお前を好いている確立もやはり100%だ。」
その言葉に涙が出た。
もう嬉しいのか悲しいのか訳が分かんないけど…とにかく止まらない。
「だって、仁王君、が、柳君、留学するって…」
「そんな予定は全くないが?」
「ない、の…?」
「仁王か…いらない世話を焼いてくれるな…。」
「嘘……?」
「俺は精市と弦一郎と共に全国制覇を目指す、それは高校に進んでも変わりない。それと」
「と?」
「好きな女を目の前にしてどこかへ行くような真似もしない。」
「……そんなはっきり言われるとなんて良いかわかんないんだけど…。」
「ああ、何も言わなくてもいい。」
そう言うと柳君はまた私の手のひらに指を滑らせて
「俺には言わなくても通じるからな……の考えていることは。」
六文字を書き綴った。
言葉に出せない想いを
文字に託して
(” ”)
08/02/10 八月朔日 photo:螺旋胎動